船水公慈被告との思い出
同級生の友達が2023年のG.Wに殺人事件を起こしてしまった。

求刑23年。控訴は被告と考えてから。
青森市の千刈小学校の時は顔見知り。
中学になってからクラスを隔てない付き合いが始まり、古川中学校の2年生あたり、
その頃の年代は多人数で映画など行ったものだ。六人くらいで行った気がする。
あの頃何みたっけ?ゴーストバスターズ?1984年。
僕と彼は進学した高校が違った。僕は南高校。彼は僕よりも偏差値が高い東高校。
南高校の同級生はサブカルチャーについて何も知らない人ばかり。
ラフィンノーズとか有頂天、Led Zeppelin Beatlesすら知らない。
受験勉強もそこそこにPOPEYEや宝島を読みながら南高校に入れた僕は
その同級生に失望していた。
入学後、六月くらいから船水公慈君が東高校のインフルエンサー的な人を
ドンドン連れてきてくれたんだ。
知性、センス、身長も高いし喧嘩のセンス。
高校生くらいの体格で喧嘩ってどんなやり取りあるの?
ケンカの最後にはお互いの自尊心を尊重して終わらなければいけないのだが
そんな交渉術を込みでできる東高校生には感嘆したものだった。(話で聞いただけ)
船水公慈はそんな修羅場をいくつか見ていたらしく、それも彼に対しての畏敬の念になっていた。
そしてバンドブーム
船水公慈はベース弾いて、僕はドラム。
工業高校の古川中学校同級生のメチャうまギタリスト、
長身のワイルド系イケメンの東高校のVocal。四人でBOØWYのコピーバンドをやった。
Red Wariors とかも。
同時に別でセンスのいい東高校の二人ともBUCK-TICKのコピーバンドもやっていた。
船水公慈は相談しないでいきなり自分の脳内の結論を僕に相談してきてたんだよ。
いいのもあった。
だから船水公慈はプロデューサーみたいな仕事に行けばよかったのに
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。